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名誉会長サロン(10月のコラム)<前月 | 次月>

「野分」

萩の花灼熱の太陽が照りつけた今年の夏もやっと終わったようだ。朝晩過ごしやすくなったと思ったらもう10月の声である。今年の夏は、台風・地震・豪雨。各所に甚大な被害があった夏であった。明日が、来週が、来年が来るものと思って手帳に毎日予定を記すのだが。日常が日常でなくなってしまった人たちのことを考えながら、私は今日も運良く、この日常を続けていることができた。

昔、古文の授業で習った源氏物語の“野分”を思い出した。「中宮の御前に秋の花を植えさせたまへること~(略)~花の枝ざし~(略)~姿~玉かと輝きて~(略)~野分例の年よりもおどろおどろしく、空の色変わりて吹き出づ、花どものしをるるを、いとさしも思いしまぬ人だに、“あなわりな”と騒ぐ」
現代語に訳せば「中宮の庭に秋の花が植えられていて、その花の枝ぶりが輝いている。しかし、台風が例年よりも凄く恐ろしく、空の色も変わり風が吹き出した。花たちがしおれるのを、心に留めない人たちも“困ったものだ”と騒ぎ出す。」

源氏物語の昔から、人は災害に遭いながら生きながらえてきた。それは、もっと昔、太古の世界からずっと続いている風景なのだろう。家も道路も壊れ、多くの犠牲が出ながらも、花のしおれていくことに心を砕き、野分という“風が野原を渡っていく”情景を想起させる言葉で、すこしでも現実を和らげるかのように思える。

古来より我が国は、地震・津波・台風・噴火等々自然災害に見舞われては、そこから学ぶべきことを様々な形で、後世に伝えてきた。歴史学者が災害史という観点から、古文書に記載されている災害の様子を著書にしている。ついついはまってしまって、数冊を買い求め一気に読んでみた。東北地方における大津波の記録も数多くあり、今更ながら戦慄を覚えた。意外にも、私の事務所のすぐそばの神社に関する記述もあった。

ここに事務所を構えて30年近くなるが、まったく知らなかった。高塚熊野神社である。創建940年というから、そうとうな歴史がある神社である。諸説あるらしいが、大昔にこの地域が大津波にのまれ、多くの犠牲者があった。生き残った村人たちは、それぞれが土を運び海抜を高くするいわゆる命山を造り、それが高塚熊野神社になったとの説である。

早速、あらためて神社に参詣してみる。なるほど、そこだけ土地が突出して高い。駅前の家屋が建て込んでいる中の異空間である。しかし、そこは先人の知恵と大いなる行動力の賜物である。見上げれば雲が早く流れていく。

そして、明日は我が身と思いながらも、特段に防災対策をするわけでもなく、喉元を過ぎてしまったことは忘れている。相も変わらずに日常が過ぎて行き、息災であることすら忘れている。この稿を書いている最中にもラジオは日本列島近海の海水温が上がり、台風は急に勢力を増してくるという話を伝えている。しかも、大きくカーブを描き進路を列島に向けているという。野分などという風雅なものではないものが・・・。すべての息災を祈る。

平成30年10月1日
静岡県行政書士会
名誉会長 岸本敏和

2017年5月迄掲載していた「会長サロン」の文章も引き続き「バックナンバー」コーナーにて、ご覧いただけます。

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